2011年12月2日金曜日

11月28日の夜の想い



親愛なる 友 へ

元気ですか?
私は今仙台駅の近くで夜行バスを待っています。
東京から台湾の仏教団体の方々と一緒にバスに揺られ宮城入りして、三日間お見舞金配布のお手伝いをさせていただきました。
七ヶ浜町、利府町、松島と約3500世帯の方々が受け取りに来られ、罹災証明書には「全壊」や「半壊」「大規模半壊」の文字に被災すさまじさを感じました。また1人暮らしで体が弱っているおじいちゃんやおばあちゃん、子供を抱える若いお母さん、障害を持っている方々、そして震災の影響なのだろうか、手が震えている方々も沢山おられました。
長距離バスの移動や、現地での準備や片付け、作業が忙しくても、被災された方々を心から想い、一生懸命頑張らせてもらいました。
台湾の方々は“地球の仲間”としての奉仕を何度も実行し、私はその優しさに心打たれました。それに比べ自分は日本人でありながら今まで東北や和歌山の被災地には足を運ばず何も出来ていなかったことに申し訳なさが込み上げ、ただただ皆様に頭を下げることが精一杯で、言葉を選べば選ぶほど言葉には出来ず(><)
三日の作業を終え、甚大な被害に合われたにも関わらずボランティアで気仙沼から来ていた60代と、70代のおばちゃん達3人に付いて、気仙沼に行きました。どうしても津波の被害現場を観たかったのです。。。
夜に着いたので、町の灯りが無く、被害の大きさが解からなかったのですが、翌日明るくなって町を案内してもらうと、被害の大きさに胸が詰まりました。漁師町で栄えていたその場所はもぬけの殻。もともとあった家の辺りには子供用の食器や瓦礫。粉々になったガラス窓や、ぐちゃぐちゃの畳の山。まるでコントで使われるような、セッティングかと思うような、家の中の半分が丸見えの状態で残っていて、家の中が波に持っていかれて家の跡形が無残に残り、船が町のあちこちに乗り上げられたまま。地盤沈下で水が溜まり、道路がゆがみ、信号や電信柱は無くなり。。。
仮説住宅に入れない人たちもまだまだいるらしく、精神的に辛い思いをされている方々も沢山いるとのことです。
気仙沼から仙台にバスで到着して、一人になりふと一息付いた後、急にすさまじい現場を観て、そして何も出来なかった自分の無力さに涙が止まらなかった。
気仙沼のおばちゃん達は本当に優しくて、家も何もかも流され、3日間孫と一緒に公民館の屋上で助けを待ち続けた末に助けられたと聞いた。
そんな状況なのに、彼女たちの心の優しさに感動しました。先ず他の被災地にも周り奉仕活動を進んで行い、私が気仙沼に付いていってもとても優しくしてくれて、色々お土産にと買ってくれたりして、ベトナムでもそうでしたが苦しみを知っている人の方がずっと他人に対して思いやりを持って接しています。感動の連続でした。
そして、自分の周りの皆には少しでも生活水準を下げ「足るを知る」「自然や物、家の空間、食べ物を大切にする」「地球の苦しんでいる仲間を思い遣る」心を養って欲しいという想いでいっぱいです。
復興にはやはりそこのお店にお金を落とすことが一番だと想い、そこで宿泊し、お店で食べて、お土産を買いました。そして、気仙沼の地酒を最後に買いに行きました。
そしたら、そこも津波でお店が全壊。そして、御主人がお店を守ろうと自分が犠牲に。しかも、奥さんの手を握っていたのが最後で、その手から津波はさらって行ったそうです。
今、奥さん、息子さんたちはお父さんの想いを胸に頑張られています。
どうですか、一度宮城の方に旅行してみませんか?現地でお金を落とすことがやはり一番の復興支援に繋がるそうです。そして、ものでは無くて愛や想いやりがやはり人間を育てるには一番大切なのです。
お世話になったおばちゃん達の1人、齊藤さんが何度も教えてくれました。「物への執着を捨てること。それが一番」だと。「欲があった人が沢山犠牲になったのよ。」と。
形で残らなくても、本物は残る。たとえ、その人が亡くなっても。
人間は心と体が元気であれば、知恵を使ってなんとか必死に生きられることを、今回も笑顔がすてきな皆さんから学ばせてもらいました。
私は本当にまだまだです。まだまだ修行が足りません。笑

いつもありがとう。

2011.11.28 

竹中 麻衣子

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