2012年10月4日木曜日

News letter 9. 2012

 2012年も中秋の名月を祝う季節となりました。皆さん、シンチャオ(ベトナム語でこんにちは)! 法政大学/キャリアデザイン学科の学生さんたちと現地交流の声を今年も掛けていただき、8月末から2週間ベトナム現地へ行ってきました。
 ベトナムとの関わりを始めて早10年。現地でしか解らない真実を他の方々にも観てもらえればと、出発前に友人達に現地訪問を勧めていました。その結果、3名(日本人2名、オランダ人1名)が日本からベトナムを訪れました。彼らは、風呂敷プロジェクトの会議へ参加し、HIV・エイズ被害者をサポートしている、スマイルグループの子供達と公園で遊び、白井さんが始めた、元ストリートチルドレン達を雇って自立を促しているレストラン、フ-ン・ライでベトナムの本格的家庭料理を味い、また無農薬野菜を育て、都会で宅配販売などをしている若い青年塩川さんから話を聴き、戦争博物館を訪れ、地元の日帰りメコンツアーに参加し、私の英語でのヨガも体験していただいたり、と基本フリーな感じですが、他のツアーとは一味違った内容の濃い体験してもらえたと思います。
 風呂敷プロジェクト現地担当の栗須さんから、作成者が増え、手馴れてスピードが上がった分、風呂敷やコースターの在庫がかなりあると聞き、渡越前に何とか改善策を考えていました。そして、思いついたのが風呂敷として出来上がったものから、違う商品へと仕上げることでした。1つは、三角形に折り、首を通せるようにして「ポンチョ」。もう1つは、二枚を縫い合わせて「ロングスカートか胸の上まで上げてドレス」。最後は、「ヨガマット入れ」。
 現地で作品を見せると、特にポンチョは評判が良かったです。そして、栗須さんとの話合いで「風呂敷プロジェクト」として進めて来ましたが、パッチワーク調に仕上がったオシャレな作品は風呂敷としての用途だけでは無いことや、コースターや他の作品も出来上がってきているし、風呂敷と名を打ってしまうと、型にはまったイメージが付いてしまい、消費してもらいにくいので名前をシンプルにmaikoプロジェクト」と変える事になりました。もちろん、「エコ」「フェアトレード」「手作り」は今まで通りです。
 冒頭で述べたように、今年も縁があり法政大学2,3年生10名と尼寺をお借りして交流しました。会場にはフランス人、フランス系ベトナム人、アメリカ系中国人、ベトナム人、日本人の友人や、生産者である貧困やHIV感染で困難な生活を強いられている仲間達も加わって、私のベトナムへの活動に繋がる経緯や、10年の活動内容などを話させて頂きました。
 日本社会で生きてきて根付いた価値観を、生産者の彼らと関わることで変えるきっかけ、また、貧困やHIVなどの社会問題と向き合い、相手の立場を考えた長期的支援方法を、少しでも考えてもらえるきっかけになってもらえたのであれば幸いです。
 昨年、現地で風呂敷やコースターの注文が大分あったときは、私がプロジェクトから少し一歩引く形を取りましたが、作品の在庫がかなり増えたので、ベトナムでまた扱ってもらえるお店を探そうと意気込んでいたところ、バイクごと転倒する事故に遭いました。2人乗りのバイクが背後から来て、前で運転している友人のポーチをひったくろうとして、そのまま私達は転倒!2人とも、擦り傷と打撲で済みましたが本当に命に関わる恐ろしい事故でした。貧富の差が広がっていることもそうですが、若者達の薬物依存や、都市開発で進む精神の乱れも治安の悪化の原因のように思います。しかし、それを促しているのは、ベトナムに進出してきた日本や欧米企業・旅行者達なのではないでしょうか。
 今回も、前回同様日本からの友達を色々と案内してくれたビンさんは子供の頃を振り返り、「ベトナム戦争後ホーチミン市に来た当時は、町には自転車がほとんどで、子供達は車を観れば目を輝かせて走って追っかけ、道路でかくれんぼをして走り回り、夜の9時には町は真っ暗。旧正月の期間は家族で過ごすので町中が静まり返っていたのが、今では365日忙しくお金を追いかけ、ベトナムらしさが無くなりました。」
 ベトナムをそうさせたのは。。。ベトナムの美しさや、伝統、文化が無くなっていくのを観るのは悲しいことですが、止まらないスピードで開発は進んでいます。
 「善き事はカタツムリの速度で動く(ガンジ-)」ことをどの国の方々にも忘れないでいて欲しいです。目先のことに興奮してしまうのでは無く、未来の子供達にも美しい自然と、素晴らしい伝統・文化が残せるように、私達一人ひとりの意識が大切だと想います。
 ベトナムから戻り、震災・津波で被害を受けた宮城県、気仙沼に約10ヶ月振りに行ってきました。今回は陸前高田、大船渡などの地域も訪れ、津波の跡を歩いたり、85才のおばあちゃんが震災後初めて仕事を始めたというお店も入るプレハブの復興市などにも行ってきました。草が生い茂る瓦礫の山・山・山、道路や橋、鉄道は寸断されたまま、山済みの廃車。唯一残った家屋の土台には花束とお供え物が添えられ、地盤沈下した土地には藻が張った水やごみが溜まったまま。港の防波堤は無残に破壊され、学校やスーパー、ホテル、博物館などの高い建物は中がぶち抜かれ、鉄筋や壁などがむき出したまま、という現状が現地にはあるのです。
 気仙沼で家を津波で流された斉藤さんと、彼女と同級生の石川さんと、災害後ずっと被災地へ足を運んでいる茨城在住の西野さんと再会しました。彼らは60才を超えていても仮設住宅や、障害者・老人施設、さまざまな被災地域に奉仕活動に頻繁に足を運び、物質的に豊かな暮らしをしている人達以上に、笑って、たくましく生きている姿には本当に尊敬します。
 彼らから、同じ時代に1つの地球を共有する人間として、自己中心的になるよりも他者を思い遣る大切さや、後世に何を守り伝えていくべきなのか言動、行動で教えてもらっています。
 今回滞在した「さんりく旅館」は、斉藤さんと石川さんの同級生が経営していて、そこも自家用車が6台流され、二階まで津波にのまれるという被害を受けたところです。目の前には跡形も無くなった駅と、脱線した線路が津波の壮絶さを物語っていました。「この辺りでは未だ、3名の方があがって来てないのよ。」と教えてくれました。
 14世ダライラマ法王も「無知は罪である。」と言われるように、真実を自分の目で確かめ、自分の体、心で体感することの大切さを今回も深く深く学びました。
 しかし、ベトナムで出逢ったストリートチルドレンやHIV/AIDS被害者、東北の震災を経験した人達にしか解らない実体験を自分はしていなくとも、理解しようとする努力や手を差し伸べる行動をすれば、きっと人々の心に平穏と世の中に平和がもたらされると信じています。
 「maikoプロジェクト」作品はベトナムでは、Shoko87Le Thanh Ton,D1,HCM)、 Overlandclubhttp://www.overlandclub.jp)で、日本では次のカフェでお求め頂けます。     じょんのびhttp://jyonnobi.jugem.jp)、TOIROhttp://ameblo.jp/toiro-cafe)、 urarahttp://uraracafe.ikora.tv)、Muelekhttp://www.mulek.com)、keatshttp://keats.jp
 全てベトナムでの手作りなので、時間は掛かりますが、自分だけのオリジナルとして、ベッドカバーやコタツカバー、クッションケースなど希望に応じてのオーダーメードも承っています。
 また、講演会やワークショップなども随時開催していきますので、もし興味があれば下手なブログではありますが詳細やベトナムの様子などを覗いてみてください: http://lifeinhcm.blogspot.com
 最後になりましたが、このように活動を続けてこれているのは何があっても迎えてくれる家族や、温かな御理解・御協力をしてくださる皆様のおかげです。ベトナムや日本だけではなく、遠く離れていても支えてくれる仲間もたくさんいます。私一人で出来ていることは何もありません。本当に、心から深謝しております。
 まだまだ未熟な私ですが、今後とも、ご指導・ご支援どうぞよろしくお願いいたします。 

                                                  合掌

2012928
竹中 麻衣子

 南三陸
 maiko project
                                                      法政大学生達と